木曽町立日義小中学校
ホーム学校だより学校案内給食献立年間行事予定活動紹介

学校紹介

学校の宝物

  毎朝、子どもたちを迎える「赤煉瓦校門」
  大正15年から、みんなを見守り続ける「銀杏の木」
  近代建築遺産「講堂」
  日義の子どもが一点に…額「身学道」
  人間の生き方を探りだそう…「枯山水庭園」

 毎朝、子どもたちを迎える「赤煉瓦校門」

赤煉瓦校門

もとは、明治42(1909)年11月の校舎新築、現在地に移転した際に、地域住民の篤志家により建立寄贈された。煉瓦は宮ノ越で製造されたものである。
 昭和61(1986)年11月に、日義学校百周年記念事業として復元された。
(「日義学校百年誌」写真解説文より)

 大正15年から、みんなを見守り続ける「銀杏の木」

銀杏の木

大正15(1915)年「大正天皇御大典記念に尋常科の生徒が銀杏を5本植えた。高等科は桧2本植えた」
 (「日義学校百年誌 忘却を起して 磯尾又エ門」P62より)

 近代建築遺産「講堂」(現在小学校体育館)

講堂講堂
講堂講堂

「当時は近隣の学校にない近代建築で、落成と共に毎日講堂内の床を油布で磨いたものです。名実ともに村の文化的中心になっていた建物でした。」 (「日義学校百年誌 創立五十周年当時の思い出 田中一八」P88より)

 日義の子どもが一点に・・・額「身学道」

身学道

揮毫「身学道」 一志 開平 「日義学校百年誌」昭和62年2月1日発行より

 「(前略)揮毫「身学道」はお盆を迎えようとしていたある朝まだき、笹村先生とふたりの静座が終わって外庭から日義の学校を眺めるような恰好で話されていたその時、ふと『日義の子どもが一点に集中してまとまるような、そんなものがほしい。たとえそれがほんのささやかなものでもよい。みんなの力が結集されれば大きな力になる。そんなものを書いてやろうか。』と先生自らがおっしゃられて、数日後「身学道」の揮毫に取りかかられた。(中略)二度、三度深呼吸をした後、気持ちを落ちつかれて「身」とお書きになった。筆を置かれた先生は「これでバランスがとれているかな。」と独り言のようにおっしゃって「学」「道」と続けてお書きになった。(中略)

 「身学道」は道元の正法眼蔵第四「身心学道」によるものであるが、笹村先生は心で学ぶことも無論だいじではあるが、心を放下して学道することよりも身体を通じ、体験から学ぶそのことが真実学道であり、日義の子どもが身をもってひたすら学道に励むことこそが極めてだいじであることを強調されておられる。はたまた教える者、教えられる者の出会いの大切さや、師こそ子どもにとって正師たり得ることの大事さを問うておられる。笹村先生が直接口に出しておられない師の絶対者としてのあり方やその厳しさをも私たちに示している。「身学道」はそのような子どもと教師へのこれからの歩む道をも示しておられる。

※ 一志開平 昭和47年度~50年度 日義小中学校長

 人間の生き方を探りだそう・・・「枯山水庭園」

枯山水庭園

昭和59(1984)年8月 石と砂を使って滝と池を組み合わせ、逆「心」の字を形どった庭園、深山から流れる滝の「動勢」と池野「よどみ」、皮は海へと流れ広がる、「希望」「発展」を意味する。地元の石を使い、新校舎や大樹との調和をはかり、一つ一つのもつ石の顔、表情や枯山水の中から人間の生き方をさぐりだそう。
(「日義学校百年誌」写真解説文より)