木曽町立日義小中学校
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日義の概要

位置

木曽町日義は長野県の南西部、木曽郡の北東部に位置し、東南方には駒ヶ岳が聳え立ち、これより分岐して東北に山岳が連なって広がる風光明媚な土地である。旧楢川村(現在は塩尻市)と木祖村に界して位置し、面積約56.25平方kmと、木曽町の中でも面積の狭い地区である。標高870m、木曽川と正沢川でつくられた木曽としては珍しく大きな扇状沖積地緩斜面になっている。
木曽川の河岸段丘には水田が開け、台地の上は畑作地帯になっている。正沢川を界とした地帯は木曽町福島地区と隣接し、木曽駒高原といわれる観光地になっており、別荘、文化施設、道の駅等が建設され、中京方面その他から観光客が多数訪れている。また、平成18年に中央アルプスを横断する権兵衛トンネルが開通してからは、木曽谷(日義)と伊那谷が20分ほどで行き来できるようになり、大変便利になった。

気 象

気候は高冷地の特色で、夏は涼しく冬は寒気が厳しい。年平均気温は9℃で松本の11℃と比べても2℃の差があり、夏は避暑地として適する。冬期は最低-17.6℃になることもある。積雪量は少なく年間の最高で20cm前後である。また年間降水量は割合に多く2,000mmに近い。松本平の1,200mmに比べると多雨であるため、樹林が多く、寒冷地の樹種であるしらかば、から松、赤松の林が続き高原の風情がただよう。

歴 史

日義の各地には縄文時代の遺物が出土し、また木曽には珍しい弥生式土器住居跡が出土(大原ゴルフ場巴の松遺跡)していることから、先住民が原始時代から棲みつき、継続して住んでいたものと思われる。歴史時代になっても平安、鎌倉時代の遺物が出土している。これらのことから古来より農耕に適した土地であったということがうかがわれる。
また、交通の要地でもあり、木曽の最初の古道は神坂峠、伊郡谷を通っていたものであるが、奈良時代(和銅6年)に木曽路開通が朝命で行われ、完成した。当時の宿駅として「原野」の地名が記録にある。木曽荘園の統治者中原兼遠は現福島町上田付近に根拠をおいて木曽義仲(1154~1184)を養育したといわれる。その後、義仲とその郎党は宮越、原野に居住していたと言われており、それらにまつわる遺跡や伝説が今日でも残され、日義の人々は義仲を偲ぶ行事を受けついできている。
明治7年9月宮越村、原野村が合併して、旭(朝日)将軍木曽義仲にちなんで日義村と命名することになる。そして平成17年11月、近隣の町村が合併し、それ以降「木曽町日義」として現在に至る。

沿革

  • 明治6年、宮越学校が開校。        
  • 明治19年、宮越学校・原野学校を合併して日義学校となる。        
  • 昭和22年、日義小学校・日義中学校(日義小中学校)となり、現在に至る。        
  • 児童生徒数(R2年度) 小学校 103 、中学校 48名、 計151名