中山道~代官屋敷と関所

中山道を旅すると川の曲がり角、谷の奥、古道の脇石にそれぞれの物語が宿っているのを肌身に感じます。
江戸時代に木曽福島を収めた一族を紐解くことで、中山道に眠る物語の多様さをご紹介したいと思います。

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Chapter 1

山村代官屋敷からみる
江戸時代の暮らし

山村代官屋敷

福島宿場町のふもとには、江戸時代280年に渡りこの地域を治めていた山村一族の豪壮な住まいがあります。この一族は地域の人々に非常に慕われていました。
代官である山村家は木曽の森林保護政策の主要な見張り手でもあります。
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建物は元のお屋敷の一部ですが、手入れのされた木造門や当時の日本庭園はそのまま残っています。門をくぐると管理人の川村ヒロシさんが屋敷内を案内してくれました。
建物の内部は鎧兜が希少な武士の肌着と共に展示されるなどたくさんの工芸品でいっぱいでした。織地には茶褐色のシミが飛んでいて、戦闘時の血ではないかと想像してしまいますが、川村さんによれば、これらは実際はその上に着用した甲冑の錆のしみだとのこと。

武士の羽織
鎧兜と肌着
江戸時代の正餐の展示

別の部屋では、複雑な絵が描かれた貝殻で遊ぶ貝合わせなど、家族の娯楽の様子が伺えました。本物の金糸銀糸を使って頭頂部が赤い鶴が刺繍された代官の正装は格別の一品です。

また、江戸時代の正餐の展示も興味深いものです。伝統的な旅館で供される上等な食事と大して違わないことには驚きました。木曽は海のない山国ですが、食事には海産物が含まれていました。というのも御岳山の豊富な氷や雪を利用して海産物を新鮮に保存することができたからです。
椀や膳はすべて美しい漆塗りで揃えられていました。漆には天然の酸と油が豊富に含まれているので、水や細菌に強く抗酸性があり、漆器で食べると味さえも美味しくなると言われているそうです。
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貝合わせ
木曽五木
Chapter 2

山村家に残るきつねの伝説

キツネの絵

山村代官屋敷にはキツネのミイラにまつわる少し不思議な伝説があります。見学が終わると山村さんは、「もっと見たいところはありますか」と尋ねました。「実はキツネのミイラの噂を聞いたのですが…」「ああ」
川村さんは私たちを小さな屋内神社に案内しました。物語によれば、キツネあるいはその魂がその日の運が吉か凶かを予言するらしいのです。このような神秘の力を信じて、一族はキツネをお祀りしました。
実は、いわゆる伝説と違いこのキツネは実在しています。
「見たいですか」と川村さんは尋ねました。
私たちがもちろん「はい」と答えると、彼は白い布手袋をはめて神社の扉に手を伸ばしました。でも、話のネタをばらすつもりはありません。自分自身で足を運んで確かめてくださいね!

Chapter 3

江戸時代の中山道の役割
街道と関所

福島関所跡

山村家当主は徳川直轄支配地の責任者だけでなく、福島関所の関守も兼任していました。
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江戸と京都を結ぶ街道である中山道は、江戸時代多くの人に利用されました。東海道と比べると険しい山道が多く、冬場は厳しい気候の地域を通るため通行が困難になることも多かったようです。それでも中山道の利用者が絶えることがなかったのは、なぜでしょうか。

江戸幕府は「入鉄砲に出女」を厳しく取り締まったといわれています。
入鉄砲とは、江戸に持ち込まれる鉄砲のこと。出女とは江戸から出る女性のことをさし、どちらも幕府の治安と発展の維持のために重要視され、厳しい監視が行われました。

福島関所跡

その取締りを実行していたのが、街道に設置された関所です。東海道の関所はその検閲の厳しさで有名でした。福島関所も、全国の関所の中でも古く「入鉄砲に出女」を見張った関所として知られていますが、領民に慕われる人格者であった山村家当主が関守を務める福島関所を通る中山道は、人々にとっては気安い旅であったのかもしれませんね。

福島関所は、昭和54年3月13日に国指定史跡に指定されて、当時の門などを復元し、資料館は関所に関する資料を展示しています。

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